ふんがふんがブログ(仮+)

着地点の定まらない迷走日記

納豆が苦手だった日

誰しもそうかもしれないが、食べ物に関して子供のころより好ききらいが少なくなった。

小学生のころ苦手だった食べ物といえば、ピーマン、にんじん、きゅうり、グリーンピース、カリフラワーから湯豆腐、鯛、サンマ、シャコ、レーズンパン、冷えた白米、辛いもの全般などなど挙げれば5000個くらい出てきそうだが、大人になるにつれ、いつの間にか食べられるようになっていた。なんという人体の不思議展

そんななか、食べられるぞセンサーの網の目をくぐり抜けて成人を迎えてしまった精鋭たちがいる。紹介しよう、わさび、納豆、紅しょうがである。

これらはいい大人になっても苦手だった。

「だった」と過去形にしたのは、すでに克服したからである。


まずはじめに「紅しょうが」

薬味としての擦ったしょうがは食べられるのに、紅いとだめだった。紅に染まったこのオレをなぐさめるやつはもういなかったのである。

しかしみじん切りにすることにより食べられた。

野菜ぎらいな子どもによく使われる戦法だが、大人にも有効だった。こまかくすれば味が分散され、わかりにくくなるのだ。そりゃそうか!

今では吉野家でも牛丼に紅しょうがを「えいやっ」と乗せることができる。大人の階段をのぼりまくりである。


次に「わさび」

これは苦戦した。あの「ツーン」とくるのがたまらなくイヤだった。わさびといえば寿司や刺身の相棒、ベストパートナーだが、寿司も30歳を過ぎるまでかたくなにサビ抜きで通した。

「相棒」という単語が出たのでドラマの相棒とかけてうまいこと言ってやろうかと思ったけど、そもそもドラマを見たことがないので杉下右京という名前しか浮かばない。

むりやりひねり出せば…個人的には「はまち」が寿司界の杉下右京だと思っている。…ごめん、てきとうにもほどがある。ウキョー!

しかしなぜかドラマで使われたらしいマグカップは家にある

わさびが食べられないと言うと、よく「おこちゃまねー」と子どもあつかいされがちだが、そのたびに「ツーンとなって寿司の味がわからなくなるので私は遠慮している」と遠い目をしてつぶやくことによって相手をけむに巻いてきた。ただ、相手が納得していたのかあきれていたのか、真相は漆黒の闇の中である。

しかし、いつでもどこでもサビ抜きをチョイスできるかというとそんなことはなく、わさびやむなしな状況を繰り返し体験し、無理やり食べているうちにびっくりするくらい慣れてしまった。人間なにごとも慣れだね。

最後に「納豆」

これが曲者である。

においからして問答無用で共演NGを突きつけたいくらいだが、それでも学生のころ意を決してチャレンジしたことがあった。

結果は惨敗。というか、食べた時は「いけた!」と思ったが、夜中に嘔吐してしまった。

疑問点は、食べてから嘔吐までのタイムラグがあったので、ほんとうに納豆によるのものなのかどうか。

それか「納豆きらい」という思い込みからきた精神的なものか。これまた真相はマリアナ海溝の奥の奥である。


正直言えば、その後納豆も本気を出せば食べることができた(涙目でちょっとオエッてなるけど)。

しかしどうだろう。納豆まで克服してしまっては苦手な食べ物がなくなってしまう。もはやアイムアパーフェクトヒューマンである。

特に仲良くはない面々での飲み会では、しばしば「好きな食べ物、きらいな食べ物」の話題が出たりする。

その時に「ぼくはきらいな食べ物はありません」と言うのもスマートだが、やはりひとつくらい苦手な食べ物があったほうがチャームポイントになるんじゃないかと思っている。

たとえばその飲み会に女子なんぞがいた場合の脳内シミュレーションでは

女子「kogeさんは好ききらいないんですかー?」

僕「だいたいないけど、唯一納豆はちょっと苦手かなー」

女子「納豆食べられないなんて意外…キュン?」
という台本で動いている。いわゆるギャップ萌えだ。

(そこに萌え要素があるかどうか問題は、どこか見えないところにしまっておいてほしい)


しかし現実は

女子「えー私納豆大好物ですよー。納豆食べられないなんて人生半分くらい損してますよー」

僕「(やかましいわボケ)食べられないことはないんだけど、ひとつくらい苦手なものがあったほうがチャームポイントになるかなと思って」

女子「(ぽかーん)」
となる。もう慣れた。


どちらにせよ、私はもう納豆きらいキャラで人生をまっとうしようと決めたので、これからもこの「納豆きらい=チャームポイント理論」を推進していきたい次第である。

そう、納豆のように粘り強く。